しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

遺言

北朝鮮のミサイルが飛んで来たら、これは遺言になるかもしれない。

 

病的に追い詰められたような怖さは感じないけれど、最後の晩餐になるかもしれない今晩は、ラーメンと漬物と豆腐を食べた。別に好きだからではなく、とりあえず家にあった、消費しておかないといけないものだった。もしも明日が無事過ぎ去った時に後悔しないように。

万が一ミサイルが飛んできて生き残ったとしても、外は無事かどうかは分からないので念のため洗濯をした。うちは洗濯機が外にあるのだ。本当はシーツもラグも根こそぎ洗いたいが、乾燥をのんびりと待つことはできないので諦めてそのままにしてある。無事だったら連休中には洗いたい。コインランドリーへ行ってシーツと毛布と枕カバーとラグを放り込んでいきたい。そしてコインランドリーにおいてある、巻がとびとびになった漫画を読んで、あいだの巻を想像してうなりたい。きっと読むまで答えは出ないし、そもそも本当に巻がとびとびになっているのかどうかは知らない。

最近は以前と比べたら、全体的に心がのびのびとしている。細かい苛立ちや、どうしようもなさは感じることはあるけれど、前よりはずっと分量が減ってきた。今だって、遺言というタイトルでブログを書いているけれど、決して死にたいとは思っていないし、平和な明日を生きていたいと思っているし、無事迎えられた明後日に私アホなこと書いたなーと恥ずかしがりたい。今まで頑張らないと生きている資格がないのではないか、という思い込みに精神を押しつぶされそうになって、死にかけながら努力したこともあったけど、それを辞めた今は今で結構幸せなのだ。その幸せを明日も明後日も来週も来月も感じていたい。最後の晩餐、なんて言わずに明日も明後日もおいしいものを食べたいし、飛んだ漫画の間に思いを馳せたい。

休みの一日

日記を書く、ということに憧れがあるのですが、どうにもこうにも毎日コツコツ書き続ける、ということが苦手で続けられそうにないのでとりあえず今日だけ書いてみることにします。

気が向いたらまた書こうかな。

 

朝目覚ましに起こされながら4度寝くらいをしつつ、起きたのは朝9時前。

普段だったら遅刻ですが、今日は休みなのでのんびり目覚めます。布団の中で、見たかった映画の予約を取り、クレジットカードのデータを入力する段になって起床。さすが水曜日、平日昼間の上映にもかかわらず、7割くらい席が埋まっている。洗濯機をまわしはじめて、朝ご飯を準備。パンと目玉焼きとウインナー、コーヒー。

食べ終わったら家の掃除。普段コロコロしかしないのですが、昼間なら掃除機かけ放題でいいですね。本当は、季節も変わったし毛布やシーツやラグを洗いたいのですが、これはきっとコインランドリーに持っていくしかないですよね…。

マッタリしつつ、出かける準備をして、シネマート新宿へ。お嬢さんを見に行きました。

ガンガン衝撃の走る映画で、目が離せませんでした。そしてエロかった。これがセックスならめちゃくちゃいいセックスです。緩やかに雰囲気をつくりながら、衝動性と意外性とを備えています。でも、見どころがそこだけはないのもとてもよかった。最後は性的な衝動が一切失せるのも含めて。

そのあとは以前、人からオススメされていた豚珍漢へいこう、と思ったものの、食べられなかったので、広州市場へワンタン麺を食べました。美味しかった~。食べるラー油が置いてあったので、うっかり食べてしまったのですが、次は歯医者へ。

親知らずを抜いてもらおうと思ったものの、抜いてもらえず、結局虫歯の治療。麻酔のせいで、うがいがうまくできないまま、歯石とりもしてもらい、だいぶグロッキーになりました。

家に帰ってうなだれてから、夕飯づくり。

ブロッコリーとさくらえびの炒め物、長いもとオクラのおかか和え、さばみりんの出汁茶漬け。

まあまあおいしくできました。

 

有意義な一日になりました。

あとはドラマみて本読んで寝るぞ~!

 

軋みながら廻る世界の話

久しぶりに人前でみっともなく泣いてしまった。 

時折、発作的に言葉を吐き出したいと思うことがあって、それは心の膿んだ部分をきれいにしたいということなのだ、と思うけれど、誰構わず話していいことではないので躊躇していた。それに反射的に吐き出したいと思っても、上手く言葉にできなくて、それが原因で心の中で回遊して淀みの原因となっていた。そこがまた新たな膿になる。

 

私は、その人といると、なぜかその膿んだこころの部分を吐き出したくてたまらなくなって、それはなぜなのか考えてみると、私の感性の問題かもしれないし、相手もそれを求めてノックし続けているからかもしれない。そのまま流れて行けばいいのかもしれないけれど、その一方で、私には信じてたのに梯子を外されてしまった経験が何回もあって、それがしこりとなって引っかかっている。

そのしこりは、一般的な言葉に置き換えれば、心のくせだ。普段は気付かないところにあって、ふとした時に出現する。私には、ただただ煩わしいだけで、出現しては苦しめられるので、どうやったら無くなるのかを考えていた。しこりはだいぶ小さくなって、引っかかりは少なくなった。少なくなったけれども、捩れたくせは一筋縄ではいかない。

私はあまり好きなものを好きだと主張したがらない。勿論聞かれたら答えるし、主張することもあるが、基本しどろもどろになりがちだ。それは話す相手にとってどうでも良いのではないか、という怯えだったり、鬱陶しいと思われるのではないか、と考えてしまうからだ。特に嫌われたくない、好きな人たちに自分の話をするのは緊張する。緊張して何も考えられなくなることはしょっちゅうだ。そうやってしこりは露出する。

例えば何の気なしに、このまま流れていったとしても、離れがたくなって辛くなるだろう。冷静で居られない自分が発生してしまうのも、とても怖い。その辺他の人は、どうやってやり過ごしているのだろう。できている人は多分なぜそんなこと考えるのかが不思議だと思うが、私には不思議で仕方ない。

私は前に比べれば、中庸できるようになったし、その自分を信じてみたい気もする。

 

なんでこんなに悩んでしまうんだろう。

もうちょっと気軽に考えられる人に生まれたかった。

 

小説:雲とわたし

カランカラン。甲高い音が店内に響き、店員に来店を告げる。私はお気に入りの窓際の席へ案内された。カウンターになっていて、目の前に大きな窓がある。3階だから、街を一望できるとは言えないけれど、駅前にうごめく人の流れを上から眺めるのはちょっと気持ちがいい。今日は雨で、色とりどりの傘が踊るように流れていく。ちょっと落ち着くと、iittalaのグラスに入った水とメニューを差し出される。カフェラテとケーキを注文してイヤホンをつけて外界との接続を遮断する。

ぼうっと、グラスの水と光が当たってできる色付きの影(今日はグリーンだ)を見つめる。こういう時は、本を読んでも別のことに気を取られて頭に入ってこない。

 

それは雲を掴みにいくような恋だった。近づいても遠ざかる気がした。それでも一生懸命走って走って、ずっとそれを追いかけていた。時々姿を変えてふっと霧となって近くにやってくるものだから、私の髪が霧で湿って余計に煽られた。やがて走っても近づけないことを悟ると、私は翼を得ようと画策する。なんとか翼を得て飛んでいくが、飛んでも飛んでも、憧れ、求めていたものは雲でしかなく、また私の身体を湿らせるばかりでつかめないのだ。それでも飛び続けると、やがて空を突き抜け、大気圏へ突入していた。気が付いたら濡れていたはずの身体も蒸発して乾いている。今の私にあるのは、その人を求めて得た翼と幻想のような思い出だけ。

得られた翼は見るたびに切なくなるので、見ないように使わないように錆びさせているけれど、あるものをなかったことには出来なくて苦しくなる。もう思い出したくない、って私は泣くけれど、思い出しては存在を確認するかのように吐き出したくて、忘れるなんてできっこないのはよく分かって居るのだから、ただめんどくさいずるい女だ。

そして、私の中で幻想のような思い出に生きるあの人はきっと、本当のあの人ではないのだ。だから、ふと本当のあの人に触れた時に私はひどく困惑する。幻想の中の思い出はいつも綺麗で、夢のように私をくすぐってくる。それはとても心地よくて、ずっと浸っていたくなってしまう。

 

イヤホンの耳栓に雑音が入って現実に戻される。カフェラテのにおいが脳まで届いて、陶酔から目が覚めた。イヤホンの向こう側で、店員さんのごゆっくりどうぞ、という声が聞こえてきたので私は会釈をする。

私は、出てきたカフェラテとケーキを少し味わい、長い深呼吸をすると、ようやく本を取り出して読み始めることにした。

 

春の病

季節の移り変わりを感じる。

南側から吹いた風が暖かさを運び入れた。段々と暖かくなってきて、気持ちも身体も上がってくる。風はどこから吹き始めてどこまで行くのか。

その風が私に春を教えてくれる。

ふわふわする。

 

久しぶりにファッション雑誌を買った。

お目当ては付録のコスメだったのだけど、いい色合いで、テンションが高まる。

最近、女の子たちがSNSで、各々購入したコスメや服の報告をしていて、私もどうしても何か欲しくなった。冬で寒くて凍えてたから、毎日仕事で頑張って疲れてるから、抱きしめてあげたくなった。そんな言い訳をして甘やかしたから、今日いまこの瞬間を、ちょっとワクワクして生きていられる。そうやって自分を守っている。そういうことの積み重ねが、私を作っていく。

いやというほど、それを自覚しているからだろうか、口座残高とにらめっこすることが増えた。許されるなら、服もコスメも買いたい。もっとオシャレしたい。でも常識的な大人ならば、自分の支払い能力を越える買い物はしないし、いざという時の貯えも必要だ。そんなせめぎ合いをする毎日。お金がなくて困っているというよりも、物欲がありすぎて困っているのだ。そこがゴールではないのに。

 

春だから、頭が浮かれている。今までできなかったことも、今ならできる、そんな気がしている。ちょっとの不安と、期待感が入り混じって、空に飛んでる。最近、妄想彼氏の出番が多いのもそのせいだろう。

一緒にテレビを見て笑いあったり、一緒に料理をしておいしいって言って食べたり、朝起きた時におはようって挨拶して、ふとんから出たくないねって言いあって、ちょっとイチャイチャして、しぶしぶ布団から出て仕事行ったり。そんなのびのびした、ささやかな幸せを積み重ねる妄想ばかりだ。

 

全部春のせいだ。暖かくなって、越冬した種がちょうど勢いよく芽吹くように、私の感情や思いや欲望が全部、勢いよく噴出していく。

そんな春の病。