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しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

軋みながら廻る世界の話

久しぶりに人前でみっともなく泣いてしまった。 

時折、発作的に言葉を吐き出したいと思うことがあって、それは心の膿んだ部分をきれいにしたいということなのだ、と思うけれど、誰構わず話していいことではないので躊躇していた。それに反射的に吐き出したいと思っても、上手く言葉にできなくて、それが原因で心の中で回遊して淀みの原因となっていた。そこがまた新たな膿になる。

 

私は、その人といると、なぜかその膿んだこころの部分を吐き出したくてたまらなくなって、それはなぜなのか考えてみると、私の感性の問題かもしれないし、相手もそれを求めてノックし続けているからかもしれない。そのまま流れて行けばいいのかもしれないけれど、その一方で、私には信じてたのに梯子を外されてしまった経験が何回もあって、それがしこりとなって引っかかっている。

そのしこりは、一般的な言葉に置き換えれば、心のくせだ。普段は気付かないところにあって、ふとした時に出現する。私には、ただただ煩わしいだけで、出現しては苦しめられるので、どうやったら無くなるのかを考えていた。しこりはだいぶ小さくなって、引っかかりは少なくなった。少なくなったけれども、捩れたくせは一筋縄ではいかない。

私はあまり好きなものを好きだと主張したがらない。勿論聞かれたら答えるし、主張することもあるが、基本しどろもどろになりがちだ。それは話す相手にとってどうでも良いのではないか、という怯えだったり、鬱陶しいと思われるのではないか、と考えてしまうからだ。特に嫌われたくない、好きな人たちに自分の話をするのは緊張する。緊張して何も考えられなくなることはしょっちゅうだ。そうやってしこりは露出する。

例えば何の気なしに、このまま流れていったとしても、離れがたくなって辛くなるだろう。冷静で居られない自分が発生してしまうのも、とても怖い。その辺他の人は、どうやってやり過ごしているのだろう。できている人は多分なぜそんなこと考えるのかが不思議だと思うが、私には不思議で仕方ない。

私は前に比べれば、中庸できるようになったし、その自分を信じてみたい気もする。

 

なんでこんなに悩んでしまうんだろう。

もうちょっと気軽に考えられる人に生まれたかった。