しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

楽しいと思うことを楽しむためにすること

生きている。何とか生きている。

11月は気持ちが落ち込んでいることが多い月だった。今までもやもやしていたものが一気に噴出し、精神を蝕んでいった。こういうとき私は、少しでも気になるモヤモヤを放っておくことができず、全てを焼き払う方向に舵取りをしてしまうことが多い。でた答えに落ち込んだりうなだれたりして鬱状態になるし、普段は成りを潜めているメンヘラも若干再出現していたのだった。死にたいとは口にしなかったものの、やけっぱちになって気づいたらそんな妄想が頭の中に浮かんでいたし、はたから見ても自傷的行動をとっていたようだった。ついでにぎっくり腰にもなった。そんなこんなで有給はあと一日しか残ってない。

12月に入って色々と人に助けられたり、解決方向が見えたり状況が動いたりして、最近は気持ちが晴れてくることが増えた。出来ていなかった料理を再開し、疲れた時はしっかり寝て体を休める。やりたいことはやり、行きたいところに出かけ自分の自己肯定感を取り戻していく。誰の為でもなく自分の為に生活と体調を整える。持続性のある人生を生きるために必要なことをやる。その上で楽しいことをやらないと、本当に楽しいことを楽しめないと思っている。

私は今までずっと、楽しいことを楽しむということがとても苦手だった。小学校の移動教室のときは、乗るバスが事故にあって生きて家に帰ってこれないのではないかと毎回考えていた。それは大人になってからも程度は収まったもののしばらくは続き、いくら自分が好きなことを楽しんでも、暗い影を落として後ろ髪を引かれる思いをしてきた。犯罪を犯しているわけではないのに、社会通念や常識や周りの視線といった見えない牢獄を恐れて、自ら牢屋に入って生きてきた。そんな狭い世界から徐々に広い世界へ出て行って、自分を大切にするとか楽しいことを楽しむといった感覚を、徐々に習得していくことができてきた。もちろん、昔の感覚が脳裏に浮かぶことはあるが、だんだんと頻度が少なくなってきたし、程度も経験則を手に入れたせいか落ち着いてきた。今までは無理して引き受けていたことも、無理だと思ったら相談したり断ったりできるようになってきた。悪く言うと自己中なのだが、周りの人は誰も私がどうなろうと責任なんて取れなくて、荷物を軽くすることはできても、代わりに背負うことなんてできないんだから、きっと自己中なくらいでちょうどいいのだ。

最近は楽しいことを楽しめる自分になれてきていて、とてもいいなと思っている。私にとっては、楽しめる状態の自分にすることが一苦労なんだけど、それも楽しめているのがいい。習慣化するのがとても苦手なんだけど、これは頑張って続けていっていつでも私は楽しいことしていいんだよ!というシグナルを自分に出していきたい。