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しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

それはまやかし、あるいは強い思い込み

テレビが届いた。信じられないほど薄い板に色とりどりの景色や、情報が流れてくる。

最後の最後でLGかシャープか迷って、LGはhuluの視聴用アプリの更新やめるからやめた方がいいよ!といわれたので、シャープを買ったらシャープも5月くらいまでで終わってしまうらしい。チーン。

本当は、物を買ったところで収まらない虚無感だと分かっているのだけど、どうせ買うし、と思い切って購入に踏み切った。私はそもそも、テレビをそんなに見る習性がない。チャンネルを一通りぐるぐるして、行きついた先はyoutubeで、ずーっとモー娘。の動画を見ていた。まーちゃん早く帰ってきて、まーちゃん…。

今朝はニュースを見た。久しぶりに外界とつながった気がした。朝ご飯を食べて、そんなに時間が有り余っているわけではないけれど、10分くらいぼーっとテレビを見ていた。気づいたら時間が吸い取られているテレビこわい。途中でチャンネルをかえたら、同じ内容のニュースをやっていたのだけど、肝心なところでちょっと意見?解釈?に違いがあって、どちらが本当なのか分からないまま、家を出た。

仕事中は、基本的に作業はしているけれど、頭の中は暇なので、なにか全然違うことを考えていることが多くて、今日は昔の自分がどんな人だったかを思い出すのに忙しかった。

私の存在自体がいるのか怪しい、そういう不確かな思いを抱きながら生きていた。もう10年以上も前の話なので、厨二臭いのは許してほしいのだけど、その本質は、産まれていなければよかったのに、という存在の否定で、だけど私にはそう思うくらい自分という存在が危ういものだった。なんなら存在しているのかしていないのか分からない幽霊と同じだったのかもしれない。そんな危うい自我から、自分を少しずつ、今も練習中だけど、手繰り寄せていく作業を繰り返すうちにだんだんと自分というものが分かってきた、その過程。

こういうことを書くと、心配する人もいると思うんだけど、本気で自分を見失っているメンヘラな状態というのは、こんなに冷静に客観視なんかできないし、こんなこと考えたら、マイナス方向に引きずられて、簡単には戻ってこれない。私はまだ、自分を幸せにするため出来ることはあると信じているし、やりたいことも山積みだ。

だからまだ大丈夫だと思う。