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しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

小説:雲とわたし

カランカラン。甲高い音が店内に響き、店員に来店を告げる。私はお気に入りの窓際の席へ案内された。カウンターになっていて、目の前に大きな窓がある。3階だから、街を一望できるとは言えないけれど、駅前にうごめく人の流れを上から眺めるのはちょっと気持ちがいい。今日は雨で、色とりどりの傘が踊るように流れていく。ちょっと落ち着くと、iittalaのグラスに入った水とメニューを差し出される。カフェラテとケーキを注文してイヤホンをつけて外界との接続を遮断する。

ぼうっと、グラスの水と光が当たってできる色付きの影(今日はグリーンだ)を見つめる。こういう時は、本を読んでも別のことに気を取られて頭に入ってこない。

 

それは雲を掴みにいくような恋だった。近づいても遠ざかる気がした。それでも一生懸命走って走って、ずっとそれを追いかけていた。時々姿を変えてふっと霧となって近くにやってくるものだから、私の髪が霧で湿って余計に煽られた。やがて走っても近づけないことを悟ると、私は翼を得ようと画策する。なんとか翼を得て飛んでいくが、飛んでも飛んでも、憧れ、求めていたものは雲でしかなく、また私の身体を湿らせるばかりでつかめないのだ。それでも飛び続けると、やがて空を突き抜け、大気圏へ突入していた。気が付いたら濡れていたはずの身体も蒸発して乾いている。今の私にあるのは、その人を求めて得た翼と幻想のような思い出だけ。

得られた翼は見るたびに切なくなるので、見ないように使わないように錆びさせているけれど、あるものをなかったことには出来なくて苦しくなる。もう思い出したくない、って私は泣くけれど、思い出しては存在を確認するかのように吐き出したくて、忘れるなんてできっこないのはよく分かって居るのだから、ただめんどくさいずるい女だ。

そして、私の中で幻想のような思い出に生きるあの人はきっと、本当のあの人ではないのだ。だから、ふと本当のあの人に触れた時に私はひどく困惑する。幻想の中の思い出はいつも綺麗で、夢のように私をくすぐってくる。それはとても心地よくて、ずっと浸っていたくなってしまう。

 

イヤホンの耳栓に雑音が入って現実に戻される。カフェラテのにおいが脳まで届いて、陶酔から目が覚めた。イヤホンの向こう側で、店員さんのごゆっくりどうぞ、という声が聞こえてきたので私は会釈をする。

私は、出てきたカフェラテとケーキを少し味わい、長い深呼吸をすると、ようやく本を取り出して読み始めることにした。