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しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

引っ越して半年の記録

そろそろ引っ越しして半年になる。

仕事へ行って、帰ってきて、自炊をしたり、洗濯したり、掃除をしたりして至って普通の生活を営んでいる。人を呼んだり、遊びに出かけたりして、普通に楽しんでいる。

普通の幸せには強度がある。早回しでなくてもいい。じれたり、ドギマギすることはあるけれど、愚直に自分の幸せの形を探っている。そうやって、一歩ずつ階段を登っている。

私は、自分が本当に何を望んでいるのか、感情の上での良い、悪い、好き、嫌いを定義するのが苦手で、カウンセリングに行っていたときに相談したことがあったんだけど、結局カウンセリングの期間内には答えが見つからなかった。そこでカウンセラーさんに最後に言われたのは、人と関わりを持つうちに、私に様々な声を掛けてくれたり、話をしたり、聞いたりすることでだんだんと分かってくるでしょう、とのことだった。それを聞いて、どこに行ってもうまく馴染めていない気がする私は、そんな場所と人があるのだろうかと思った。でも実際には、そういう環境に身を置くかどうかは自分次第だし、居なければ探せばいい。また、それをどの程度聞き入れ、糧にしていくのかも自分次第なのだ、と今は感じている。一緒にいてくれる人がいて、色々と声を掛けてもらえて、こっちからも話しかけて、そんな他愛のないキャッチボールができるのは、本当に幸せなことだと思う。たまにボール球を投げてしまうこともあるけど、それもご愛嬌。

現状、〜すべき、〜しなければならないと無意識的に自縛していて、それは今までかけられた言葉の呪いなのだろう。それらを解放できるようにしていくのが今後の課題といえば課題なのかもしれない。

とりあえず、楽しいことを楽しんで生きていきたいな、と思う。

2017年GWの思い出

ゴールデンウィークの思いでは色々あるんだけど、覚書しておく。

GW最後の土日を目前に控えた夜。

ゴールデンウィークの終わりを世界の終わりに例えて二日後に世界が終わることがわかったら何をするかという話になった。

相手は今まで出来なかったことを思う存分やりたい、というのに対し、わたしはいつでもできる好きなことを淡々として終わりを迎えたい、と話をした。具体的にいうと、日高屋に行って最後に中華そばを食べたい。そういうと相手はちょっと驚いて、その日はお互いのやりたいことに、あーだこーだ言って楽しく話をし、眠りについた。

 

翌朝、目が覚めてベットでちょっとダラダラしてたら相手も起きてきたので、今日なにしよっか。と話しかける。とりあえずみそ汁でも飲んでから考えようか、と続けて、私はみそ汁の具を何にするか思案する。ねぎ、わかめ、油揚げ。今うちにあって、すぐに出来そうなものが頭をめぐる。この前、相手が用意してくれたみそ汁は美味しかった。私は一人だと、つい手軽なインスタントに走ってしまうが、二人なら作った方がおいしいし、作った分は飲み切れる。そう考えてベッドから出ようとすると、相手が口を開く。いや、日高屋いこっか。そう言われて私が同意しない訳がない。私は嬉しくて大喜びし、二人して急いで準備して日高屋へ歩いていく。外は日差しが強く暑い。

日高屋にはもう冷やし中華の看板が掲げられていた。

最初から中華そばに行かずに、お互いが一人で来た時に頼むメニューを注文する。レモンサワー、おつまみ唐揚げ、餃子、おつまみ3点盛り。休みなので朝から飲む。おいしく楽しく飲むために生きているのだから。

そして〆の中華そばはハーフサイズにした。あっさりしていて、食べやすいからぺろりと平らげる。私が日高屋の中華そばを好きな理由は、あともうちょっと食べたいと感じるところにあるのかもしれない。もしも世界が終わるなら、私はここで普通の中華そばをおなかいっぱい食べたかもしれないが、今は持続性のある世界に生きていると思っているので控えておく。体重がどうなっているか分からないので気になってしまうが、休み中は考えないようにしたい。

帰りはスーパーに寄って、ご飯の買い物をする。普通のことも一緒にやってると楽しい。ルーを使った普通のカレーを一緒に作ろうと材料をかごに入れていく。豚肩ロースのかたまり肉も、安かったのでかごに入れてしまう。これは焼き豚にする。

家に帰ってお酒を飲みながら焼き豚を仕込む。油を入れて肉に焦げ目がついたら、醤油、みりん、酒を1:1:1で入れる。さらにねぎの青いところと生姜を入れる。それからコトコト20分。肉が浸かっていなかったので、裏返して、ついでに冷凍していた大根もいれた。大根は浸かりすぎで味が濃かったので、次作るときには下茹でしてから入れると思う。

 

遺言

北朝鮮のミサイルが飛んで来たら、これは遺言になるかもしれない。

 

病的に追い詰められたような怖さは感じないけれど、最後の晩餐になるかもしれない今晩は、ラーメンと漬物と豆腐を食べた。別に好きだからではなく、とりあえず家にあった、消費しておかないといけないものだった。もしも明日が無事過ぎ去った時に後悔しないように。

万が一ミサイルが飛んできて生き残ったとしても、外は無事かどうかは分からないので念のため洗濯をした。うちは洗濯機が外にあるのだ。本当はシーツもラグも根こそぎ洗いたいが、乾燥をのんびりと待つことはできないので諦めてそのままにしてある。無事だったら連休中には洗いたい。コインランドリーへ行ってシーツと毛布と枕カバーとラグを放り込んでいきたい。そしてコインランドリーにおいてある、巻がとびとびになった漫画を読んで、あいだの巻を想像してうなりたい。きっと読むまで答えは出ないし、そもそも本当に巻がとびとびになっているのかどうかは知らない。

最近は以前と比べたら、全体的に心がのびのびとしている。細かい苛立ちや、どうしようもなさは感じることはあるけれど、前よりはずっと分量が減ってきた。今だって、遺言というタイトルでブログを書いているけれど、決して死にたいとは思っていないし、平和な明日を生きていたいと思っているし、無事迎えられた明後日に私アホなこと書いたなーと恥ずかしがりたい。今まで頑張らないと生きている資格がないのではないか、という思い込みに精神を押しつぶされそうになって、死にかけながら努力したこともあったけど、それを辞めた今は今で結構幸せなのだ。その幸せを明日も明後日も来週も来月も感じていたい。最後の晩餐、なんて言わずに明日も明後日もおいしいものを食べたいし、飛んだ漫画の間に思いを馳せたい。

休みの一日

日記を書く、ということに憧れがあるのですが、どうにもこうにも毎日コツコツ書き続ける、ということが苦手で続けられそうにないのでとりあえず今日だけ書いてみることにします。

気が向いたらまた書こうかな。

 

朝目覚ましに起こされながら4度寝くらいをしつつ、起きたのは朝9時前。

普段だったら遅刻ですが、今日は休みなのでのんびり目覚めます。布団の中で、見たかった映画の予約を取り、クレジットカードのデータを入力する段になって起床。さすが水曜日、平日昼間の上映にもかかわらず、7割くらい席が埋まっている。洗濯機をまわしはじめて、朝ご飯を準備。パンと目玉焼きとウインナー、コーヒー。

食べ終わったら家の掃除。普段コロコロしかしないのですが、昼間なら掃除機かけ放題でいいですね。本当は、季節も変わったし毛布やシーツやラグを洗いたいのですが、これはきっとコインランドリーに持っていくしかないですよね…。

マッタリしつつ、出かける準備をして、シネマート新宿へ。お嬢さんを見に行きました。

ガンガン衝撃の走る映画で、目が離せませんでした。そしてエロかった。これがセックスならめちゃくちゃいいセックスです。緩やかに雰囲気をつくりながら、衝動性と意外性とを備えています。でも、見どころがそこだけはないのもとてもよかった。最後は性的な衝動が一切失せるのも含めて。

そのあとは以前、人からオススメされていた豚珍漢へいこう、と思ったものの、食べられなかったので、広州市場へワンタン麺を食べました。美味しかった~。食べるラー油が置いてあったので、うっかり食べてしまったのですが、次は歯医者へ。

親知らずを抜いてもらおうと思ったものの、抜いてもらえず、結局虫歯の治療。麻酔のせいで、うがいがうまくできないまま、歯石とりもしてもらい、だいぶグロッキーになりました。

家に帰ってうなだれてから、夕飯づくり。

ブロッコリーとさくらえびの炒め物、長いもとオクラのおかか和え、さばみりんの出汁茶漬け。

まあまあおいしくできました。

 

有意義な一日になりました。

あとはドラマみて本読んで寝るぞ~!

 

軋みながら廻る世界の話

久しぶりに人前でみっともなく泣いてしまった。 

時折、発作的に言葉を吐き出したいと思うことがあって、それは心の膿んだ部分をきれいにしたいということなのだ、と思うけれど、誰構わず話していいことではないので躊躇していた。それに反射的に吐き出したいと思っても、上手く言葉にできなくて、それが原因で心の中で回遊して淀みの原因となっていた。そこがまた新たな膿になる。

 

私は、その人といると、なぜかその膿んだこころの部分を吐き出したくてたまらなくなって、それはなぜなのか考えてみると、私の感性の問題かもしれないし、相手もそれを求めてノックし続けているからかもしれない。そのまま流れて行けばいいのかもしれないけれど、その一方で、私には信じてたのに梯子を外されてしまった経験が何回もあって、それがしこりとなって引っかかっている。

そのしこりは、一般的な言葉に置き換えれば、心のくせだ。普段は気付かないところにあって、ふとした時に出現する。私には、ただただ煩わしいだけで、出現しては苦しめられるので、どうやったら無くなるのかを考えていた。しこりはだいぶ小さくなって、引っかかりは少なくなった。少なくなったけれども、捩れたくせは一筋縄ではいかない。

私はあまり好きなものを好きだと主張したがらない。勿論聞かれたら答えるし、主張することもあるが、基本しどろもどろになりがちだ。それは話す相手にとってどうでも良いのではないか、という怯えだったり、鬱陶しいと思われるのではないか、と考えてしまうからだ。特に嫌われたくない、好きな人たちに自分の話をするのは緊張する。緊張して何も考えられなくなることはしょっちゅうだ。そうやってしこりは露出する。

例えば何の気なしに、このまま流れていったとしても、離れがたくなって辛くなるだろう。冷静で居られない自分が発生してしまうのも、とても怖い。その辺他の人は、どうやってやり過ごしているのだろう。できている人は多分なぜそんなこと考えるのかが不思議だと思うが、私には不思議で仕方ない。

私は前に比べれば、中庸できるようになったし、その自分を信じてみたい気もする。

 

なんでこんなに悩んでしまうんだろう。

もうちょっと気軽に考えられる人に生まれたかった。