しあわせへの助走

生きていて感じたことを気の赴くままに書いていきます

転職活動

今日は恋人と電話をして、今日のブログ書かないの?と言われた。「私はインプットとアウトプットの量はほぼイコールにしないと、精神的、肉体的にバランスが悪くなる気がしていて、今日は仕事ですごい勢いでアウトプットしたから書かない」と返答したのに結局これを書いている。言い訳をすると、シャワーを浴びたら暑くて寝れなくなってしまったのだ。イン・アウトのバランスは食べ物で取ることにした。

最近転職活動をしている。

今の会社に入って両手の指で数えないと足りない年数働いてきたのだが、ほぼずっと辞めたいと思いながら働いてきた。特に最近は方針を考える会議に出ると、必ずと言っていいほど会社の悪いところがボトルネックになって、自信をもってこれだ!と言える案に行きつかない。人だったりお金だったり権力だったり技術だったりが足りないのだ。そんな感じで年齢的にも世間の状況的にも、今がチャンスでは?むしろ年齢的にこれを逃してあとがあるのか?と思い活動を始めた。

だがうまくいかない。書類は普通に通るのだが、面接がダメだ。自覚はある。この間は面接官にダメ出しもされた。原因として思い当たるのは、必要以上に委縮してしまうことだと思う。普段は自分の仕事に責任をもっていいものを提出できるよう、努力はしているが転職してそのやりかたが通じるのかが不安で仕方なくて、自己PRがうまくできない。そして面接官という上の立場の人間と、応募者という下の立場の私、という状況を必要以上に意識しすぎて思考停止してしまう。質問事項が思い浮かばないし、そうなると入社の意志を疑われて落とされる。当然だと思う。そして元をただせば幼いころ、親ときちんとしたコミュニケーションをとれる環境になかったことが原因なのでは、と思い至る。

私は幼少期、親に毎日留守番をさせられていた。まだ幼稚園にも入る前の年齢だった。すぐ下に兄弟がいたので、面倒も見させられた。あのころ母にかけられた言葉で覚えているのは呪いの言葉ばかりだ。毎日、お姉ちゃんだから兄弟をよろしくね、といって母は出かけていく。だから兄弟がいたずらをしたりすると、自分のせいだと私は自分を追いつめる。辛い、早く帰ってきてほしいという思いも最初は持っていたが、段々と留守番することに対し負の感情を持つと、そんなこと思っちゃいけない、と自分で打ち消しにかかる。そのうち何も思わなくなっていく。泣いてもわめいても帰ってこない母に対する対応策が、自分の感情を殺していくことだったのだ。

そうやって私は自分の感情の説明ができなくなった。痛み、苦しみは自分の生命維持にかかわるので割と早い段階で出せるようにはなった。日常生活においては、友人関係や、本を読んで学ぶことができた。今書いているような、自分の感情の流れを多少は把握できるようになったのは、カウンセリングに行っていたからだ。しかし、あきらかな上下関係があり自分を判断しようとされるシーンでは何も考えられなくなってしまう。今も後遺症に苦しんでいる。

これもセルフカウンセリングと思って書いたものの、ちょっと落ちをつけてうまくまとめられないな、と困っている。

今日のこと

でんぱ組について書いている途中だけど、ちょっと緩和休憩的に、別の記事を書こうと思った。

下書きを再利用しようかと思ったけど、ヘビーな話が多すぎて出すのを渋っている記事が多くて、さらにそこから書き連ねるのは気分じゃない。本当は小説的に、この間あったことを書こうかとも思ったのだけど、もうちょっと寝かせておきたい。

なので、今日あったことをちょっと書こうかなと思う。

今日は久しぶりに料理を作った。

最近はなんだか落ち込んだり疲れたり用事があったりすることが多くて、とりあえず食べれればいいや、とひき肉ともやしを炒めたやつとか、もやしとしし唐を炒めたやつ、それにただのもやし炒めを食べていた。とにかくもやしをたくさん食べた。その期間の中にツイッターでメロン切ったらもやし出てきた、みたいなツイートを見かけ、ちょっともやし見すぎて気持ち悪いな、とおもいながらももやしを食べた。勿論それだけでは足りないのでインスタントラーメンを食べたり、買ってきた惣菜を追加して食べていた。

久しぶりに、ルーを買ってきてカレーを作った。

玉ねぎをサラダ油で炒める。豚肉の小間切をいれる。家にあったキノコとジャガイモをいれて、白ワインで蒸す。白ワインは、前にコンビニで買ったものの、まずいと思って残したものだったんだけど、白ワインは冷やして飲むものだと、私はこの夏知った。5分ぐらいしたら、ジャガイモも火が通ってきた感じになるので、水を投入。本当はトマト缶を入れたかったのだが、なかったので水を入れる。適当に煮立ったらあくを取ってルーを入れる。ひと煮立ちさせて完成。作ってる間、カレーを家で作ったのはとても久しぶりなことに気づく。引っ越ししてきて、初めて作ったのもカレーだった気がする。まだ調味料も何もなくて、色々買いそろえなくても出来る料理だと思って選んだ。それも、もうちょっとで1年。まあ、まだ2か月はあるのだが、どうせこの年齢の2か月は早い。恋人とももう付き合って半年になろうとしてる。はやい。時の流れが怖い。

最近いろいろと生活が乱れすぎていてよくないと思っていたので、カレーを食べてから掃除をはじめた。とりあえず気になって仕方がないキッチンのシンク周りの掃除を徹底的にやった。シンクのうえにあるものをすべてよけて、台拭きでごみをよけ、スポンジで洗う。台拭きもスポンジも捨てるので徹底的に使う。本当は夏の間に、ガスコンロ周りを掃除すると、油汚れの落ちがよくてはかどると聞いていたのに、結局ガス台を台拭きで適当に拭いただけの状態で秋になってしまった。そうやって時期を逃してしまったことが、沢山あったとちょっと落ち込む。そんなことを考えているうちにシンクの掃除は終わったので、仕上げにアルコールスプレーをかけて完了とした。

でんぱ組.incと私 2

あらすじ
劣等感にさいなまれていた私は、でんぱ組に出会う。
彼女たちのバックボーン(オタク、自分に自信がない)などに共感し、とくにもが推しになる。
わたしは仕事以外は基本的にひきこもりだったものの、でんぱ組の武道館ライブに行ったのがきっかけとなり、でんぱ組のイベントに出かけるようになるのだった。

kyusuigy.hateblo.jp

 

武道館ライブの後から、でんぱ組がネットをしない人にも認知されていったのではないかと思っています。
日清のカップヌードルや、auの特命宣伝部長など、有名な商品、企業の宣伝を担当することになったからです。最初に行くまでは心理的にわだかまっていた私も、一度行ってしまえばわだかまりも解け、状況が許す限りはどんどん行きたいというようになっていきました。またちょうどこの年、2014年はモー娘。’14の道重さゆみちゃんが卒業した年でもあったため、見れるうちに出来る限り見ておかなくちゃ、という思いに拍車がかかりました。
そんな私が次に行ったのはau特命宣伝部長の就任イベントでした。でんぱ組の前にauの宣伝を担当していたのがモーニング娘。’14だったので、モー娘。と同列に並べる程になったのが、私は本当に嬉しかったです。私はモー娘。も好きだけど、この時のでんぱ組に対する思い入れは別格で、メンバーが頑張って、ここまできたことがとても嬉しくて、自分のことのように喜んでいました。このイベントは基本、ファンクラブ限定イベントだったのですが、舞台でのイベント終了後に名刺お渡し会があり、それが事前の告知もなく、急だったため非常に戦慄したのを覚えています。私にとって初の接触イベント。突然の発表にどうしよう!なに言おう!とドギマギしながら、考えている間に列はどんどん進んでいきます。結局、もがちゃんに好きです!と伝えるだけで終わりました。まあそうですよね、一瞬ですから。
この年は初めての地上波の冠番組でんぱジャックも放送されました。普段あまりテレビを見ない私も、でんぱジャックだけは頑張ってみていました。でんぱジャックの主題歌、バリ3共和国のMVは2次元と3次元が融合していて、私はとても好きでした。2次元になりたい、とメンバーは言っていたのですが、その夢が叶ったMV。そんな風に言っていたことを徐々にかなえていくでんぱ組はカッコいいと思ったし、どんどんあこがれを募らせていきました。

 


でんぱ組.inc「バリ3共和国」Music Video Full

 

また前後してファントムオブキルのキャラクターにコスプレしてCMに出ていたので、それだけは開始前から登録してプレイしてたり。懐かしい。およそ半年後に、でんぱ組メンバーがキャラクターになって登場していたのですが、それも頑張って入手したりしていたな…。

このころの私はオタ活するために仕事を一生懸命していて、公私ともに充実。その結果、昇進できたりしました。何でもそうだと思うんですが、何かを一生懸命するってとてもしんどいことで、特に仕事なんかは本当にやりたいことをやっている人は一握り。ほとんどの人は向かないことを生活のために仕方なくしてる、という人も多いと思うのです。でもその向かない仕事を頑張ってやろうと思って、努力できたのはでんぱ組やもがちゃんが頑張っているのが、日々の活動を見ていて伝わってきたから。応援したいと思ったから私もこの時期を乗り越えられたな、と今となっては思います。

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でんぱ組.incと私 1

でんぱ組.incともがちゃんが私の中でとても大きな存在で、もがちゃんの脱退が思いのほかダメージが大きく、結構引きずってるので整理のために書いておきます。

私がでんぱ組.incを知ったのは、ドラマ最高の離婚がきっかけでした。
兄弟がドラマを見ていて、たまたま目にしただけ。それなのになんだか強烈に惹かれるものがあって、頭にこびりついて離れなかったのです。その時歌っていたWWDは今でもとても好きな曲で、自己紹介ソングでもあったため、世界観に入っていくにあたってすごく良かったと思います。


【生きる場所なんてどこにもなかった】でんぱ組.inc「W.W.D」Full ver.

そのころの私は精神的に不安定で、劣等感にさいなまれながら生きていました。このままじゃいけないと焦る気持ちと、努力して頑張ってるつもりでも結果が出ない毎日にとても疲れていました。それこそ、”Dearstageへようこそ”の主人公ばりです。

でもWWDを聞いて、劣等感やうまくいかなかったこともあったけど、前向きに頑張ろうという世界観と自分の状況を重ね合わせ、自分の未来は自分で作っていこう。彼女たちも頑張っているんだから、私も頑張ろうと思えるパワーをもらいました。このとき強く感じたのが、こんなに自分の気持ちにグッとくる歌はないということ、そしてでんぱ組.incと最上もがちゃんを見守って応援していこうという決意が沸いてきました。

でんぱ組メンバーは、どの子も個性が強くてマンガのキャラクターみたいで、(そしてみんな脇役キャラだよねと、昔ねむきゅんあたりが言っていて、非常に納得がいったのだけど)そのなかでも特に頑張りたいと思うバックボーンに、一番共感できたのがもがちゃんだったのです。そしてかわいい。
めちゃくちゃ好きだったのだけど、私は現場へ行く勇気がなかなか持てずにいました。在宅でyoutubetwitterで情報を追っているだけでした。でんでんぱっしょんのCD発売イベントは、お店にメンバーがそれぞれ滞在して、CDを買えばサインしてくれるというものだったのですが、行きたいと思いながら、行ったところで何を話したら良いのか分からないと思うと怖くて行けなかったのです。

そんな私も重い腰をあげて、2014年のもがちゃんの誕生日イベントに行きました。もがちゃんが好きだったから、というのは勿論ですが、ファンクラブに入っていなくてもチケットが取れたから、という理由だったと思います。この時のことはちょっと緊張しすぎてあんまり覚えていません。でももがちゃんかわいい!顔が小さい!と感動したことは覚えています。

このイベントを皮切りに、ちょいちょいイベントへ行くようになっていきます。

でんぱ組.incという物語において、初めての武道館公演というのは非常に大切な目標となっていました。2011年、もがちゃんとピンキーが加入してから、初のワンマンライブで、みりんちゃんが武道館に行きたいと宣言。歌も踊りもお世辞にもうまいとはいえない彼女たちですが、プロデューサーのもふくちゃんに様々なお題を突きつけられながら、頑張る彼女たちが武道館を目指す姿が印象的でした。特にWWDのお披露目ライブで、それぞれの苦しみを吐露するシーンがあるのですが、メンバーが自分の気持ちと向き合い、立ち向かっていく強さに、非常に心打たれました。

www.tv-asahi.co.jp

また、低予算なMVも目立っていたのですが、WWDのあたりから、だんだんとMVにお金をかけてもらえるようになっていきました。そんな流れでの武道館。最初は私なぞが行ってもいいのだろうか、と思っていたのですが、だんだんポジティブに行きたい!と思えるようになり、えいやっと参戦することにしたのです。

最後列だったものの、武道館へ行くという夢をかなえた彼女たちは輝いていて、出だしのディアステージへようこそで私は感極まって泣き始めました。(蛇足ですが、私はライブが始まると大体最初に泣きそうになります)

 

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同時期にはまっていたネイルとともに。ストーンはメンバーカラー。

 

はじめてアイドルのライブにいって、一生懸命腕が疲れるまでペンライトを振って汗だくになる。そうやって楽しむライブは感動的で、非常に感銘を受けたのでした。

追記
よく考えたら、一番最初に行ったイベントは、東京ドームシティホールで行われた日比谷野音の振替公演でした。
そのイベントは、最初映像を流すだけでライブは無し、という予定だったそうなんですが、色々と掛け合って、数曲だけライブすることになったと、もがちゃんがブログに書いていたのをよく覚えています。そうやって、ファンのためを思って、事務所に掛け合ってくれるのは本当に嬉しかったし、私も仕事しててそういうところあるな、と思います。なのでとても分かるのですが、いつも意見が通るわけではないこと、その意見の正当性や自分は相手のためを思ってやっているという思いは、フラストレーションが溜まって行くものです。その真面目さと不器用さから、本人が度々口にするアイドルに向いてない発言に繋がるのだと思いますし、実際でんぱ組人生を縮めたのだと思います。

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kyusuigy.hateblo.jp

 

ひとつ年をとった

一週間ほどあった夏休みももう今日で終わり、いつもそうなのだが名残惜しい気持ちでいっぱいだ。とはいえ、今年の夏休みはあまり時間を無駄にすることなく充実した時間を過ごせたので、とてもよかった。

例年の休みといえば、寝て寝て飲んだくれて終わっていたものの、今年は旅行に行ったり掃除したり(しかし部屋の美しさは保てていないので要再考)ゲームしたりして過ごしていた。旅行には写ルンですを持って行ったものの、まだ撮り終えられてないのでそのうち旅行記としてアップするかもしれないししないかもしれない。想像ではいい写真がとれているはずなので、そのうちまとめられたらいいなと思っている。

夏休み中にひとつ年を取った。毎年必ず夏休み中なので、学生時代は友達に会うこともなく、お祝いを言ってもらうこともなかったのだが、いまとなってはどうでもよいと思える程度になった。ちなみに29なのだが、数字の上では大した問題ではないと分かって居るのだけど、私の中では30と29の間には心理的な隔たりが大きくて、終わってしまう夏休みのように今からちょっと慄いている。

今年の誕生日は嬉しいことにお祝いしてもらった。

正直、相手の仕事が忙しそうだし、前の週に喧嘩していたので、あまり期待していなかったのだが、お祝いしないとね、と言ってくれていた。どうなるのかと思っていたのだけど、築地に行って、魚を購入し家で手巻きずしを食べるプランだった。前々から、どちらも、行きたい、やりたいと思っていたのでとてもうれしかった。相手はあんまり、決断力のあるタイプではないのだけど、時々、ここぞという時に頑張ってくれるのがとても嬉しい。

その日は朝早く起きて築地に行こうって言ってたのに、夜私の咳がひどくてお互いにあまり寝れず、結局起きたのは決めていた時間の一時間以上後だったので、急いで着替えて外に出た。はじめて行った築地は、活気にあふれて人がたくさんいて広々としていて、魚もどれを買うか悩むくらい沢山陳列されていた。だいたいここで買おう、と決めたタイミングで、私は人混みに疲れてしまって、休憩させてもらい、その間に買い物をしてきてくれた。そのあとは家に帰って荷物を待ったり、一緒にご飯の支度をしたり、新宿に出てゲームを買いに行ったりした。ご飯の支度を一緒にするのがなぜだか私はとても好きで、幸せだなと思った。

思えば去年から今年にかけて、自分の成長という意味でとてもたくさんの変化があって、ある程度、持続性のある幸せな状態にいることができている。今までは、割と一年いちねん生きるのに必死で、辛いことも沢山あったけど、これらの一年はなにが起きるかとワクワクした気持ちが多い。安定した持続性のある日常と、いざという時の行動が幸せを持続性のあるものに変えているんだと思う。